「私もちょっと身勝手だったのかな、って反省しちゃいました。自分のことで精一杯で、アイツの気持ちなんか考えてる余裕なくて。――せめて、もっとキレイな別れ方ができてたらな……って」「それって……、まだ彼に未練があるってことですか? だから、復縁にハッキリと『No』が言えなかったんじゃ」 原口さんの問いに、私は首を横に振った。「違う……と思います。ただ……彼にちょっと申し訳ないなって思ってるだけです。私もオトナ気(げ)なかったのかな、って」 恋愛と作家の仕事は、両立できないこともない。まして、私は恋愛小説家である。この仕事に恋愛は切っても切れないものだ。 でも、二年前の私は作家デビューしたばかりで、大学の勉強とバイトと執筆のことでもういっぱいいっぱいで、はっきり言って潤のことにまで構(かま)っている余裕なんてなかった。 潤とやり直すのをためらっている理由は、原口さんが――好きな人がいるからだ。「それは仕方ないですよ。作家になった人なら誰でも通る道です。だから先生も、そんなに責任を感じる必要は――」「ヘンな慰(なぐさ)めならいりません。余計に惨(みじ)めになるじゃないですか……!」 彼なりの慰めの言葉を、私は遮った。SならSらしく、もっと厳しいことを言ったり罵倒してくれた方がよかったのに。中途半端な優しさは、却って傷付く。――ましてや好きな人からの慰めは。「……すみません」「いえ。私の方こそゴメンなさい。今のはただの八つ当たりです」 ……ダメダメ! 今日の私は本当にどうかしてる。潤とのことは、原口さん(この人)とは何の関係もないのに八つ当たりしちゃうなんて。「先生、とりあえずパフェ食べて気持ちを落ち着けて下さい。……溶けちゃいますよ?」「はい、……そうですね」 私は素直に頷いた。彼の優しさが、下手(ヘタ)な慰めじゃないと分かったから。「――美味(おい)しいなぁ,コレ」 サクランボの甘さで、ささくれ立っていた気持ちが少し解(ほぐ)れた気がする。「スイーツを頬張(ほおば)ってる時の先生って、可愛いですよね。〝女子〟って感じがして」「……へっ?」 原口さん、今〝可愛い〟って言った!?「なんかすごく幸せそうな顔して食べてるので、可愛いなって」「……だって女子ですもん」 思いがけない殺(ころ)し文句(もんく)にキュンとなった私は、照れ隠
「あの……、原口さん。つかぬことお訊きしますけど」「はい。何でしょうか?」「あなたから見て、五歳年下の女性ってどんな風に見えますか?」 私はスプーンを止め、彼の顔をじっと見つめながらおずおずと訊ねた。――さすがに目を見ては照れ臭すぎる。「それって……先生のことですか?」「ちっ、違いますっ! あくまで広い意味で訊いてるだけですから!」 思いっきり図星をつかれ、私は慌ててごまかした。ここは、身近にサンプルがいないから、今後の創作活動の参考までに……ということにしておきたいところ。もちろん、それはただの建前(たてまえ)だけれど。「う~ん……、それは人にもよるんじゃないですかね」「ですよねえ」 すでにチーズケーキを食べ終えていた原口さんは、コーヒーを飲みながら澄(す)ました顔で答えた。 彼の意見はごもっともだ。人は育った環境や周囲の人によって、その人となりも変わる。年齢だけで一概に「こうだ」とは言えないのかもしれない。「ちなみに私は……、どうですか?」「なんだ、やっぱりご自身のことなんじゃないですか。そうじゃないかとは思ってましたけど」「…………」 思わず言葉を失う私。パフェをつっつくのを再開したばかりで、スプーンをくわえたまま固まってしまった。……さすがはSの原口さん。そう来たか。「そうですね……。先生は責任感が強いし、自立心も強い。それはこれまで、色んな経験を積んできたからだと思います。それこそ、先生が立派な大人の女性だという何よりの証明だと思いますよ」「そ……そうですか」 子供扱いされるかもと思っていた私は、それを聞いてまたキュンとなった。パフェを食べる手も、自然と早くなる。「好きな人がいらっしゃるんでしたっけ? その人は先生のこと、ちゃんと〝女性〟として見てくれてると思いますか?」 ……どうして覚えてるの、それ? あの時はキャラが壊れるほど酔っ払ってたのに。 でも、「それはあなたのことだ」って言うわけにもいかなくて。「はい、……多分。彼は優しい人だし、私のことをちゃんと見てくれてるから」「そうなんですね……」 それとなくニュアンスだけで伝えると、彼は納得してくれたみたいで、それ以上の詮索はしないでくれた。 ――そういえば私、さっきから自分のことばっかり喋ってるじゃん! そう気づいた私は、気持ちを切り換えるためにお冷や
「っていうか、昨夜電話くれた時に話してくれたらよかったのに」「ああ……、そうですね。あの時は重版の報告で頭がいっぱいでしたから」「…………そうですか」「それに、ちょっと厄介なことになってて。お電話だけじゃ伝わらないかな、と思ったもんで」「……は?」 作家の担当から外れるのって、もっと簡単なことだと思っていた。「そんなに大変だったんですか?」「大変というか……。結果的には、僕は蒲生先生の担当から外してもらえたんですけど。その代わりに、交換条件を出されまして」「交換条件?」 私は原口さんの話に眉をひそめる。 何だか物騒(ぶっそう)な言葉が飛び出してきたなあ。無理難題をふっかけられたんじゃないといいけど……。「はい。僕に、『〈ガーネット〉のレーベルそのものから外れろ』と、蒲生先生が」「そんな……! 横暴(おうぼう)じゃないですか、そんなの!」 自分が言われたことでもないのに、私は大憤慨した。 いくらベテランだからって、いち作家に出版社の人事にまで口を出す権限はない。それも、ただのワガママで。「島倉さんは何もおっしゃらなかったんですか? 上司なのに」 島倉さんは部下思いの編集長だ。原口さんがパワハラを受けていたのに、その場にいて何も言わなかったとは考えにくいけど。「一応、僕のことを庇(かば)っては下さったんですけど、結局は力及(およ)ばなかったみたいで……。『最後まで庇えなくて申し訳ない。でも君は何も悪くないから』とおっしゃってました」「そうですか……。じゃあ、もう決定なんですね? 原口さんが〈ガーネット〉から異動になるのって」 とどのつまりは島倉さんもただのサラリーマン、しかも作家ファーストの出版業界の人なのだ。作家が下した決定は、そう簡単には覆(くつがえ)すことができないんだろう。「まあ、そうなりますね。ですが、僕は今度の異動を機(き)に、新レーベルを立ち上げることにしたんです。――もちろん、島倉編集長のGOサインも頂いてます」「新……レーベル?」 原口さんてば、落ち込んでいるどころかすごくポジティブだ。というか〝新レーベル〟って……、なんかすごい話になってきたぞ?「そうです。名前は〈パルフェ文庫〉。〈ガーネット〉とは違い、文庫での刊行のみで、電子版も同時に配信されるという、若手の先生にメインで活動して頂くレーベルになりま
「先生みたいに手のかかる作家さんが、果たして他の編集者の手に負(お)えるかどうかが心配で」「はあっ!?」 私は眉を跳ね上げた。〝心配〟ってそっちの意味かい! ……やっぱりこの人、Sだ。ドSだ!「しっ、失礼な! 私がいつあなたの手を煩(わずら)わせたっていうんですか!?」 私は猛(もう)抗議。頼まれた仕事は一度だって断ったことがないし、手書きだから遅筆(ちひつ)なのは仕方ないとしても、毎回キチンと入稿だってしているじゃないか! ――ところが。「じゃあ逆にお訊きしますけど、先生が僕の手を煩わせなかったことなんてありましたっけ?」「…………あーうー」 胸を張って「ある!」……とは言い切れない。思い当たるフシが多すぎて。 締め切りを延(の)ばしてもらったことは数知れず、催促されれば逆ギレして大ゲンカ。これらの所業(しょぎょう)の数々を、「手を煩わせた」と言わずして何と言うのか。「……ゴメンなさい。ないです」 猛省(もうせい)した私はうなだれた。……けれど。「――というのは冗談で、本当は僕以外の人に先生の原稿を任(まか)せたくなくて」「は?」 ……冗談だったんかい。時々私は、この人の思考回路が分からなくなる。「言ったでしょう? 僕は先生の小説が大好きだって。あんなおいしい役目、他の誰にも取られたくないですから」「……そうでしたね」 嬉しいけど、どうリアクションしていいのか。――「おいしい」って、「役得」って。彼がそれだけの理由でこんな大きな決断をしたとはどうしても思えなくて。「――それでですね、新レーベルは八月初旬(しょじゅん)に創刊予定なんですが。先生にはさっそく創刊第一号の執筆をお願いしたいんです」「創刊……第一号? って、私でいいんですか!?」 私は彼の依(い)頼(らい)の言葉を、すぐには理解できなかった。 新しいレーベルから刊行される第一作目を書く。それは作家にとって、一生に一度あるかないかの大仕事である。そして、その売れ行きによってレーベルの将来が決まるといっても過言(かごん)ではないため、任された側は責任重大だ。 そんな大役を、本当に私が……?「はい、もちろん。先生が一番の適任者だと僕は思ってます」「そうですか……」 何だかんだ言っても、彼は私を信頼してくれている。それなら、彼のためにぜひとも引き受けなきゃ!「
「――ところで、新しいレーベルについてもっと詳(くわ)しく聞かせてもらっていいですか? 創刊するに至(いた)った経緯(けいい)とか、レーベルのコンセプトとか」 彼のこれまでの説明から察するに、もうだいぶ前からこの計画(プラン)は煮詰(につ)まっていたんだと思う。「はい。――えーっとですね、実は僕、もう一年くらい前から新レーベルについては考えてたんです。その頃はまだ漠然(ばくぜん)と、でしかなかったんですが。先生のような若手の作家さん達をどうにか救済(きゅうさい)したい、と」「私みたいな、っていうと?」 彼の言葉の裏には、「不遇な」という形容詞(?)が隠れている気がするけれど。「書店で働いてらっしゃる巻田先生ならご存じでしょうけど、今の〈ガーネット〉ではベテランの作家さん方が台頭(たいとう)してますよね? 書店での著書の扱いにも、それは顕(あらわ)れています」「ええ、確かにそうですね」 それは私も感じていた。いつも平積みにされているのはベテランの先生の作品がほとんどで、私みたいな若手の作品はメディアミックスでもされない限り、棚に数冊並べばいい方だ。「でもそれだと、せっかく頑張ってデビューされた若手の作家さん方の努力が報(むく)われませんし、モチベーションも下がってしまう。『いい作品(モノ)を書きたい』という意欲は、若手もベテランも同じはずですよね」「もちろんそうです」 〝売れたい〟 〝有名になりたい〟という気持ちもないわけじゃないけれど、まずは一作でも多くいい作品を執筆して、自分のファンに届けることが大前提だ。「それを打開するためには、新しいレーベルを作ってそこで若手の先生方に活躍して頂くのが一番いいと思い立ったんです」 彼はそこで一旦話を区切り、コーヒーブレイクを挟(はさ)んでからまた話し始めた。「コンセプトは〈ガーネット〉とほぼ同じですが、やや恋愛ジャンルに特化したレーベルになります。もちろん、他のジャンルの作品も刊行します」 恋愛小説に特化したレーベルか。――なんか、私のために作ったレーベルっぽいけど、まさかね……。「――あの、私以外にはどんな作家さんが活動される予定なんですか? 琴音先生は?」 〝若手〟というなら、まだ三十歳そこそこの彼女だってそこにカテゴライズされてもおかしくないはず。
「はい。西原先生も参加されるそうです。僕がお声がけしたら、『ナミちゃんが参加するならあたしも!』って。彼女の担当者もこちらに異動するそうです」「担当の人が異動するってことは、琴音先生はもう〈ガーネット〉からは本出して頂けなくなるってことですか?」 ……いや待てよ? それを言ったら私もそうじゃないか。担当の原口さんが〈パルフェ文庫〉の編集長になるんだから。「――ってことは私も? じゃあ、今まで〈ガーネット〉から出して頂いてた作品の版権(はんけん)とか、重版ってどうなるんですか?」「そうですね……。残念ながら、巻田先生も西原先生も、今後〈ガーネット〉からの刊行はできなくなります。ですが、作品の版権は新レーベルに引き継がれることになってますので、重版ではなく〈パルフェ文庫〉から新たに刊行、という形になります」「なるほど……、そうなんですね。分かりました」 私の作家としての原点である〈ガーネット文庫〉からもう本を出してもらえないのは淋しいけれど、私の作品が世の中から消えるわけじゃないんだと分かってホッとした。 たとえ活動の場が変わっても、私はこの先も作家でいられるんだ。私の夢は、まだ終わらないんだ!「――というわけで、先生。レーベルは変わりますが、今後ともよろしくお願いします。編集長としてはまだ若いですし、頼りないかもしれませんが……」 原口さんが改まった態度で、謙遜しながら私にペコリと頭を下げた。「いえいえ! こちらこそ、これからもお手を煩わせると思いますけど……。とりあえずエッセイのお仕事、頑張ってやらせて頂きます!」 私もペコリで返す。 食べかけのパフェは、もうだいぶアイスが溶けてきている。――そんな私のパフェグラスに注(そそ)がれた、原口さんの熱視線に私は気づいた。「うまそうですね、それ」 視線が合うと、ニッコリ笑われた。食べたいならもっと早く言えばいいのに。というか、チーズケーキを平らげたのにまだ食べるんかい! ……というツッコミはどうにか堪えた。「…………え? 私のスプーンでよかったら一口食べますか? だいぶ溶けちゃってますけど」 私が使っていたパフェ用のスプーンを差し出そうとすると、彼はわざわざコーヒーについていた未使用のスプーン(そういえばブラックで飲んでたっけ)を伸ばしてきてアイスをすくい、口元に運んだ。 ――ああ、間接
* * * *「――ごちそうさま。そろそろ出ましょうか」 伝票を手に席を立ち、会計を済ませようと私がお財布(サイフ)を取り出すと――。「あ、先生。ここは僕が」 原口さんもお財布を出して、支払いを申し出た。作家である私にお金を出させるのは忍(しの)びないらしい。「いいのいいの! ここは私が払います。誘ったの私ですから、ね?」 割り勘(カン)、という手もあったけど、それは私がイヤなのだ。――好きな人に気を遣わせるのが。「……分かりました。先生、ごちそうさまです」 原口さんは私の気持ちを汲んでくれたらしく、素直にお財布を引っ込めた。「――マンションまで送らせて下さい」 喫茶店を出ると、原口さんがそんな申し出をした。「えっ? いいですよ! すぐそこなのに」「僕がそうしたいんです。さっきごちそうになったんで。――お願いします」 彼は意外と頑固だ。〝お願い〟までされたら、私も「イヤ」とは言いにくい。……イヤじゃないし。「しょうがないなあ……。いいですよ」 ――というわけで、私は彼に送ってもらうことにした。「そういえば原口さん。最近私にあんまりイヤミとか言わなくなりましたよね」 私はごく自然に、世間話のつもりでそう言った。「えっ、言ってほしいんですか? もしかして先生って……、実はドMですか?」「ちっ、違いますよっ!」 私は顔を真っ赤にして否定したけれど、完全に否定できたかどうかは分からない。 そういえば、今まではっきり指摘されたことがなかったから自覚はなかったけど。……私って本当にドMだったりするかも?「――あ、着きました。本当にすぐですね」 五分も経たないうちに、私の住むマンションに到着してしまった。「それじゃ、原稿用紙は明日にでもお持ちしますね。僕はこれで失礼します。――先生、お疲れさまでした」「はい。送ってくれてありがとうございました」 原口さんの背中を見送ってから、私はマンションの階段を上がった。二階の部屋に着く頃にはいつもクタクタなのに、今日はいつになく清々(すがすが)しい気持ちで、足取りも心なしか軽かった。「ただーいま」 鍵を開けると玄関でスニーカーを脱ぎ、誰もいない室内(一人暮らしなんだから当たり前だ)に一声かける。――これは潤が入り浸っていた頃に身についてしまったクセというか、習慣というか。 いつ
『――はい、巻田です』「もしもし、お母さん? 奈美だけど」『ああ、奈美?』 母の声はいつも優しい。作家デビューが決まった私が「家を出る」と言った時も、母は「そう。頑張りなさい」って背中を押してくれた。私の一人暮らしにあまりいい顔をしなかった父を説得してくれたのも、母だった。『元気にしてる? お仕事はどう? ちゃんとゴハンは食べてるの?』「うん、元気だよ。ちゃんと自炊してるし、作家の仕事もバイトも大変だけど楽しいよ。毎日すっごく充実してる」 毎日楽しくて充実しているのは、きっと今恋をしているからだ。――いつか母にも話せるといいな。『そう、よかった。――お父さんがね、今月出た奈美の新作、予約してまで買ってきて。今じゃすっかりハマってるのよ』「へえ……」 父も丸くなったもんだ。昔はあれだけ「夢だけじゃ食べていけないぞ」とか言ってたくせに。でも正直、そんな父の変化が私は嬉しかった。『――ところで、今日はどうしたの? 電話くれるなんて珍しいじゃない。何か困ってることでもあるの?』 母が不思議そうに訊いてきた。「えー? そんなことないでしょ? コマメに連絡はしてるじゃん」『メールとかメッセージではね。でも、電話はたまにしかくれないじゃない』「あー……、そうかも」 母の指摘はごもっともだった。困った時だけ電話して、あとはメールやLINEばっかり。これじゃ言われても仕方ない。「あー、いや。別に困ってはいないんだけどね。――あのさ、お母さん。今度の土曜日、久しぶりにそっちに帰っていい? あたしバイト休みなんだけど」『いいけど。どうして?』 私が実家に帰りたがるなんてめったにないことだから、母はむしろそっちの方が心配なんじゃないだろうか。「えっと、あたし今日新しいお仕事もらったんだけどね、それが初めてのエッセイの執筆で。昔のアルバムとかあったら、それを資料として使いたいな、って」 これは、自分自身の過去への〝取材〟だ。両親以外にも昔の友達とか学校の先生とかにも話を聞こうと思っている。『新しいお仕事って、あんたこないだ新刊出たばっかりじゃなかったの?』「うん、そうなんだけど。色々と事情があって……」 原口さんが私にこの仕事を依頼したのは、蒲生先生に対する意地もあったのかもしれない。――自分が担当している中で一番若い作家の私に、原稿を書き上
「――さて、取材はこんなもんかな。美加、今日はありがと。仕事のジャマしてゴメン」「ううん、こっちこそゴメン! 色々突っ込んだこと訊いちゃったみたいだし、結局奈美の役に立てたかどうか……」 美加は殊勝にシュンとなったかと思えば、次の瞬間にはけろりんぱと表情を変えた。「実は仕事は早めに終わってたの。午前中にプランニングにはOKが出てて。午後は奈美が来るって分かってたから、会社に残ってただけなんだ」 本当は早く帰れたはずなのに、私のためだけに残っていてくれたなんて。「そうだったんだ? ありがとね、ホントに助かったよ。――じゃ、私はそろそろ」 私はノートと筆記具をバッグにしまい、紙コップを手にして立ち上がる。「仕事頑張ってね! 私もいいエッセイが書けるように頑張るから」「うん! 本出たら絶対買うよ☆ ……あ、紙コップはあたしが片付けとくから」「うん? 悪いね、ありがと」 彼女はここのスタッフなんだし、そうするのが筋なんだろう。そう思って、私は持っていた紙コップを美加に手渡した。 結婚式場を出ると、時刻は午後三時を過ぎていた。〝取材〟という名目で来たわりに、けっこう長居(ながい)をしてしまったらしい。 ちなみにこの後、取材の予定は入っていない。バイト先の書店は土日は忙しいし、学校の先生は平日じゃないと会えない。というわけで、今日の取材はこれで終了。私は初夏の陽気の中を家路についた。 * * * * ――その翌日からも、私はバイトに勤しむ傍ら取材としてあちこちを訪ね、色んな人から話を聞いた。中学・高校時代の恩師、昔よく本を借りていた図書館の司書さん、昔親しかった友達、バイト仲間(由佳ちゃん・今西クン・清塚店長も含む)――。 そうして書き溜めた取材メモを元にして、依頼されてから十日ほどでプロットの作成にまで漕(こ)ぎつけた。 メモのページをめくりながら、そこに書いたフレーズを大まかな文章に起こしていくのだけれど、私はかなりの苦戦を強(し)いられていた。 何せ、エッセイ執筆は初挑戦。なので、小説を執筆する時とは勝手が違うのだ。 小説はジャンルにもよるけれど創作なので(ノンフィクションは除く)、自分の想像力で文章を組み立てることができる。でも、エッセイは材料となる事柄(ことがら)がすでに揃っているので、それありきで文章にしなければならない。
「いつか、自分の友達の式をプランニングする夢」 そう言って、彼女は私に冗談とも本気ともつかない口調でのたまった。「奈美。原口さんと結婚する時は、ぜひあたしにプランニング任せてよね」「うん。……ええっ!? いや、結婚も何も、まだ告白すらしてないのに!」 私は思いっきりまごついた。「大丈夫っ☆ きっとうまくいくよ。あたしが保証する!」 ……いや。「保証」も何も、アンタ彼に会ったこともないでしょ? それなのにうまくいくなんて分かるの? ――とツッコみたかったけど、美加が「大丈夫」って言うなら私も何だか大丈夫な気がしてきた。「……うん、ありがと。もしそうなったら、その時は美加にプランニング頼むよ」「りょーかい☆」 美加は私におどけて見せた。そして再びレポーターと化す。ただし、今度は真面目な質問だった。「奈美には新しい夢ってないの?」 夢……か。私は紙コップを弄(もてあそ)びながら考える。「人気作家の仲間入りをすること……かな」 一ヶ月前、電話で原口さんに宣言したことだ。それが多分、今の私の目標であり夢なんだと思う。「でもいいのかなあ? 『作家になる』って夢だって、まだ叶ってるか叶ってないかビミョーな状態なのに、もう次の夢ができちゃうなんて。私って欲張りなのかな?」「いいんじゃないの? 夢は果てしないんだから。向上心のある人間なら、やりたいこととかなりたい自分とか、次々浮かんできて当たり前だって」「そっか……、そうだよね」 今、美加はすごくいいことを言った気がする。――私はその中で一番心に残ったフレーズをノートに書き留めた。 〝夢は果てしない〟「――ところでさ、原口さんって今フリーなの? さっき訊き忘れてたけど」 美加は今更なことを訊いてきた。さっき、結婚式は云々(うんぬん)とか盛り上がっていたのに。「だと思うよ? 本人から聞いたワケじゃないけど、知り合いの女性作家さんが教えてくれたから」「女性作家? ふーん」 彼女には何かが引っかかったみたいだけれど、私には何が引っかかったのか分からなかった。「……? 何か気になる?」「ううん、別に」 私の気のせいだったのかな? この件についてはこれ以上突っ込んで訊いても答えてくれそうにないので、私は追求を諦めた。
「あたしも奈美に影響(えいきょう)されたうちの一人だからさ。アンタが頑張ってる姿を励みにしてここまで来られたんだよ」「そっか……」 彼女は高校卒業まで、ずっと私を励まし続けてくれた。デビューが決まったと連絡した時にも、自分のことみたいに喜んでくれていた。 進路が別々になってからも、彼女はきっと書店で私が出した本をみるたびに「自分も負けてられない!」と奮起(ふんき)していたんだろう。「ところでさ、これは取材とは関係ないんだけど。ウェディングプランナーってホテルでも需要(じゅよう)あるよね? なんでそっちに就職しないでここを選んだの?」 他のスタッフさんもいる手前、この質問は声をひそめた。 この業種の給与形態(けいたい)についてはあまり詳しくないけれど、大きな式を任せてもらえる方がお給料もいいんじゃないだろうか? そもそもそれ以前に、ホテル従業員の方が基本給自体も高い気がする。「そりゃあね、ホテルのブライダル部門の方が、有名人のお式とか任せてもらえて箔(はく)はつくと思うけど。あたしがやりたい仕事はそんなんじゃないの。規模は小さくても、一件ずつ真心を込めてプランニングしたいんだ」「へえ……、いいねそれ。なんか美加らしくて」 彼女は何事にもこだわる子だった。全てにおいて妥協(だきょう)せず、それでいて自己満足で終わらせることもせず。今いるここでの仕事にも、きっと誇りを持ってやっているに違いない。「結婚式ってさ、カップルにとっては人生の一大イベントになるワケじゃん? だからできるだけお二人の思い出に残るような、ご希望通りのお式にしたいの」「うん。分かるよ」 カップルによって、挙げたい式のカタチはそれぞれ違うから。ホテルの式場よりもここみたいな小さな式場の方が、一期(いちご)一会(いちえ)のプランニングはしやすいのかもしれない。 予算は限られるだろうし、難しいことも多いかもしれないけど、やり遂げた時の達成感もその分大きいんだろう。「今ね、来月ここでお式を挙げられるカップルのプランニング、一件任されてるんだ」「えっ、もう? スゴ~い☆ 頑張って!」「うん!」 入社して一ヶ月でプランを任されるって、なんかスゴい。それだけ会社側も彼女に期待しているってことなんだろうな。 それを言ったら私も? 原口さんは私に期待しているから、創刊第一号を私に任せ
「――なるほどねえ。今回の仕事にアンタが気合入ってる理由が分かったよ」「へ?」「好きな人のための仕事だもんね。そりゃ気合も入るってもんだわ」「……うん」 もっと冷やかされるかと思ったけど、美加は親友らしい言い方で私を気遣ってくれた。「アンタは昔っからムリして男に合わせようとするとこあったけど、今度は大丈夫そうだね。同じ小説を愛する者同士なら」「うん」 彼女はよく知っている。私の過去の恋は、ほとんど私が背伸びをしすぎたせいでダメになっていたことを。でも、今回は背伸びする必要なんてない。原口さんはもう二年以上、こんな私をすぐ近くで見ていたのだから。 私と美加は、氷が解けて少し薄くなったアイスカフェオレを飲んだ。お互いに喋りまくっていたので喉がカラカラなのだ。「――でもいいなー。小説家の想い人が編集者さんなんて。まんま小説の世界みたいでロマンチックだよねえ」 うっとりと目を細める美加。夢を叶えたとはいえ、雇われの身である彼女はこういう世界に憧れるのかもしれない(それを言うなら私もバイトとして雇われている身だけど、それはこの際置いといて)。……でも。「作家の世界ってそんなにキラキラしたものじゃないよ? 現実はけっこうシビアなんだから」 この二年、現実(リアル)に作家をやってきた私だから分かる。印税だけで優雅(ゆうが)
「でもね、教授には褒められたの。『自分のスタイルを貫(つらぬ)いてるのは偉いですね』って」「ふーん? でもそれって結果オーライなんじゃないの?」「……そうとも言うよね」 そういえばその教授にこうも言われた。『今のデジタル時代に手書きなんて珍しいですね』と。それでも教授が私の卒業を認めてくれたのは、私がすでに文壇(ぶんだん)デビューを果たしていたからだろう。「――じゃあ、次ね。恋愛について、私はどんな感じだったと思う?」 何だか立場が逆転しかけていたので、私は急いで次の質問に移(うつ)った。「どんな、って。――う~ん……、一言で言えば〝一途(いちず)、でも不器用〟って感じ?」 美加の返答を聞いて思い出したのは、高校時代に付き合っていた同級生の男子について。 ――当時、高校二年生だった私には生まれて初めてできた彼氏がいた。とはいっても私の方から好きになったわけではなく、彼の方から告白されて付き合うようになった。どうも私は、潤の時といい告白されて付き合うパターンが多いらしい。 ――それはともかく。あ
「それはさあ、〝新たな試み〟ってヤツなんじゃないの? 〈ガーネット〉と違って作家の素顔も知ってもらおう的(てき)な」「あー、なるほど」 美加がどうして作家業の私以上に出版業界の内情に詳しいのかはさておき、彼女の推理はあながち間違ってないかもと思った。 〈ガーネット〉は秘密主義のレーベルで、作家のプロフィールは顔写真も含めてほとんど公開されていない(知り合いがファンなら顔を知られていても不思議はないけど)。 だから、作家がファンと直接触れ合える機会(サイン会とか)もない。原口さんにはそれも不満だったんじゃないかと思う。「――さて、じゃインタビュー始めるね」 私はバッグからプロット用ノートとペンケースを取り出し、ノートのページを開く。「オッケー☆ で、どんなこと聞きたい?」「えーっとねえ。美加から見て、私ってどんな子だったと思う?」 お父さんとお母さんにも同じ質問をしたけれど、親と友人とでは見え方も違うと思う。「そうだなぁ……。〝まっすぐ〟っていうか〝猪突(ちょとつ)猛進(もうしん)〟っていうか。いつも夢に向かって一直線な感じだったね」 それ、両親とほぼ同じ答えだよ。――私はシャープペンシルを握ったまま固まった。「あー……そう。他には?」 せっかくのインタビューなんだし、もっと別の言葉が聞きたい。「うーんと、読書好きで、いつも何か書いてたよね。わき目もふらずに作家になることばっかり考えてるなあ、ってあたし思ってた」「それって褒めてるの? 貶してるの?」 私は書き留めようとした手を止め、口を尖(とが)らせた。「いや、もちろん褒めてるんだよ? アンタのそういうところ、羨ましいなあって思ってた。あたしも負けてらんないなあって」「……そうだったんだ。そりゃどうも」 一応褒め言葉らしいので、私はそれをノートに書き留めた。 〝いつも夢に向かって一直線〟 〝読書好きで、いつも何か書いていた〟 いざ文字にしてみると、自分のこととはいえ何だか照れ臭い。でも、これが自分を俯瞰するってことなのかもしれない。「――そういや、どうでもいいんだけどさ。奈美って今でも原稿手書きなんでしょ?」「……? うん、そうだよ?」 何を今更。美加は前から知っているはずなのに。「じゃあさ、大学の卒論(そつろん)は?」 卒業論文……。確かにあれが教授に認められ
「電話した時にちゃんと説明すればよかったね。――今日私が美加に訊きたいのは、昔の私自身のこと。この結婚式場とは何の関係もないの」「ほえ……、〝取材〟ってそういうこと。あたしはてっきり、ウェディングプランナーがヒロインの話でも書くのかと」 ……おっ。美加、ナイスパス! まさかこんなところで小説のネタをゲットできるなんて! 私は内心ガッツポーズを作りつつ、話をさりげなく元に戻した。「その案は次の機会に使わせてもらうけど。――実は私、八月にエッセイを出版することになって。今日もお昼まで実家にいて、両親に話聞いたりしてたの」「なるほどねー、〝過去の自分への取材〟ってワケか。それであたしを訪ねてきたんだねー」 美加は私を、事務棟の中にある小さなカフェスペースに連れてきた。「ここね、あたし達スタッフが休憩取ったり仕事の打ち合わせに使ったりしてるの。ここでならゆっくり取材できるでしょ?」「うん。ありがと、美加」 ここには椅子もテーブルも備(そな)わっている。ベンチで横並びよりはゆったりと話を聞けそうだ。「――じゃああたし、自販機で飲み物買ってくるよ。アイスカフェオレでいい?」「うん」 ホットにしなかったのは、彼女も私が猫舌なのを覚えてくれていたからだろう。「――お待たせ。あたしも同じのにした」 美加は紙コップを二つ、テーブルに置く。「ありがと。……あ、お金――」 私は財布の小銭入れを探(さぐ)った。せっかく取材を受けてくれるのに、取材費は払えないからせめてコーヒー代くらいは返さないと。……と思ったけれど。「あー、いいよいいよ。それより、エッセイの話、詳しく聞かせてくんない?」 美加はやんわりとそれを断り、私の向かいに座って自分の分の紙コップを引き寄せた。 私もアイスカフェオレを一口飲み、今回エッセイ執筆を依頼された経緯を話した。「――ふーん? 出版業界もけっこうブラックなんだねえ。原口さんって編集者さん、なんかかわいそう」 美加は何でもズケズケ言う性格(タチ)なので、圧力をかけてきた蒲生先生に怒っているのかと思いきや、意外にも原口さんに同情的な感想を漏らした。「でもさあ、転んでもタダじゃ起きない人みたいだね。異動を逆(さか)手(て)に取って、新しいレーベル始めちゃうなんてスゴいよねー」「うん、それは私も思った」 パワハラに屈するどこ
実家を出たその足で電車を乗り継ぎ、私は新宿にある美加の職場へ。 ――ジューンブライドにはまだ早いけど、結婚式場のチャペルには式を挙(あ)げている幸せそうなカップルと、彼らを祝福する大勢の参列者がいた。 今日がいいお天気でよかった。人生の新たなスタートを切った二人の未来が明るいものになるようにと願いつつ、私は美加が働いている事務棟(とう)に入っていく。「――あ、奈美! 今日は来てくれてありがと! 待ってたよ~!」「美加ー! 久しぶり~~っ!」 エントランスで待ってくれていた美加と私は、ここが彼女の職場だということも忘れて会った瞬間に抱き合った。時間が一気に高校時代に戻った気がする。「奈美、元気そうだね。本読んでるよ、あたし!」「ありがと、美加! 仕事中にゴメンね!」 結婚式場のユニフォームである紺色のスーツを着ている彼女はすごく誇らしげだ。首元のオレンジ色のスカーフが眩しい。「いいってことよ☆ 上司にはちゃんと言ってあるから。『今日、作家の巻田ナミ先生が取材に来るんです』って」「美加ぁ~……」 確かにその通りなんだけど、お願いだからハードル上げるのはやめてほしい。「ウチのチーフがね、巻田ナミの大ファンでさ。奈美が来るって聞いた途端にテンション上がりまくっちゃって」「へえ、こんなところにも私のファンがね」 親友の上司も私の本を読んでくれているなんて。世間(せけん)って狭いというか何というか。「っていうかあたし、奈美が一人で来るなんて思ってなかったよー。てっきりついでに彼氏でも紹介してくれるもんだとばっかり」「いないよ、彼氏なんて」 私はキッパリ否定した。というか、どこの世界に恋人を取材に連れてくる作家がいるんだろうか。……いや、探せばいるかもしれないけど。「だってさあ、アンタのその格好がなんか気合入りまくってるから」「あー、そういうことか」「……は?」 さっき実家で、「予定がある」って私が言った時に両親が「デートか?」ってやたら騒いでいた理由がやっと分かった。 私が今日着ているのは七分袖のフワッとしたカットソーに白のチノパン、そしてスニーカーではなく若草色のフラットパンプス。実家に帰るだけならまだしも、「取材だから」とやたら気合を入れてめかし込んできたら、誤解を生んでしまったらしい。「ううん、こっちの話。――あ、そうそう
「いや、〝迷惑〟なんてとんでもない。その頑固さがあったから今のお前がいるんだろ? もし父さんの言いなりになってたら、お前は今頃悔(く)やんでたんじゃないか」「……うん、そうかもね」 私は元々、刺激のない毎日も、誰かに使われるのも好きじゃない。性(しょう)に合わないのだ。 普通に就職して会社勤めをしていたら、確かに安定はしていたと思う。毎月キチンとした収入が入り、正規雇用で将来も安泰(あんたい)。 でも私は、誰かのご機嫌(きげん)伺いをしながら退屈な毎日を送るなんてまっぴらごめんだった。やりたいことがあるなら、それを仕事にするのが一番いい。生活は大変だけど、認められた時の喜びは大きいしやり甲斐もある。「私、作家になったこと後悔してないよ。楽しいことばっかりじゃないけど、自分が選んだ道だもん」「そうか。それを聞いて安心したよ。父さんも母さんも、これからも応援してるからな」「そうよー。困ったことがあったら、いつでも連絡してらっしゃい」「うん! 二人とも、ありがと!」 やっぱり、家族が味方っていいな。小説家って孤独(こどく)な職業だけど、こうして支えてくれる人達がいるから「私、一人じゃないんだ」って思える。それってすごくありがたいことだと思う。「――そろそろお昼の準備しなきゃ」 母が壁(かべ)の時計を見て言った。時刻は十二時五分前。あれだけのアルバムを見て、両親に話を聞いていたら、もうそんな時間になっていたのだ。「チャーハンとスープでいい?」「うん。――あ、手伝うよ」 母と二人で台所に立つのもお正月以来だ。でも、独(ひと)り立ちしてからずっと自炊をしているから(たまに手抜きで外食やテイクアウトも利用するけど)料理の腕は日に日に上達している……はず。 親子三人で食べる久しぶりのゴハンは、楽しい両親のおかげで賑(にぎ)やかだった。 お昼ゴハンが済むと、私は後片付けを手伝ってから実家を後にした。「今日はありがと。慌ただしくてゴメンね。またゆっくり来るから」 出がけに玄関まで見送ってくれた両親にお礼を言うと、母に逆に謝られた。「こっちこそ、大した手伝いもできなくてゴメンね。美加ちゃんによろしく伝えてね」「うん。伝えとくよ。じゃあまたね!」